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幾何学時計

社会復帰を目指す元引きこもりの日記。でも多分ドラゴンボールの話題が多い。

【ドラゴンボール超】ザマス/ゴクウブラック(ロゼ)感想

※時系列などはバラバラ。

 そのうち整理します。

 

 彼は世界を慈しんでいた。
 創造神に連なるである彼には星、宇宙という壮大な単位でとても大切なものなのだろう。
 親が子を愛するように。あるいは芸術家が己の作品を愛で、誇るように。

 大きく違うのは芸術品ならば変化はしない。完成したらそれまでだ。されど世界は変化する。

 人間とは玉にできた瑕であり、彼の世界を絶え間なく傷つけ続ける。同時に、それを大切にする彼の心も。

 そう、彼の行動は何のことはない。単に芸術家が作品の問題点を直すのと変わらない。文筆家が書き損じた文字を消す程度のことに過ぎないのだ。

 それを踏まえれば、美しさの頂点にいたるという言葉の意味も解しやすい。
 彼は作品を修正する。作品を完璧にするために。
 作品はその修正を以て完成する──つまり美しくなる。

 そして、その「完成された世界で最も高位の存在(神)たる彼」ないし「美しい世界を完成させることのできる存在――崇高な世界の更に高みにいる彼」は美の頂点となる。
 なぜなら、いかな美しい芸術品も皆作者の――創造者の下にあるものだ。

 彼は無菌室で育ったガラス細工のように繊細だ。
 なるほど、ならば人間のような生々しく汚い存在は耐え難いものだろう。
 そして、その邪悪さに影響されるのは避けられない。かつて地球の神がそうであったように。

 然るに彼を凶行へと駆り立てたのは我々人間であり、絶滅は愚かさゆえの自業自得に他ならない。

 なぜ彼を温室から連れ出したのか。温室から厳冬にさらされて生きられる花などあるはずもないのに。

 ゴワスに見守れと言われただけの彼は、親に手を振り払われた幼子のような悲痛と絶望したのだろう。冬に響く悲しい弦楽器の震えをしたあの声。
 界王神界で彼に纏わりつく薔薇は彼から溢れる血の涙。

 彼は優秀だった。生きる世界も美しかった。
 豊かさと知性と美が彼の揺籃だったのだろう。
 だから彼は受け入れられなかったし気づかなかった。
 知恵を活用することを当前として存在し、そしてそれをして生きてきた彼には、知恵を活用しないのではなく、そもそも活用するという発想を持つことさえ困難な者があると想像もつかなかったのだ。

 ただ理解ができなかったのだ。ああ、それは彼の未熟さに他ならないだろう。
 しかし、それを導くのが師であるゴワスの役目の筈。なのに指導法を見誤り、悪手を打ち続けた結果、彼の心は徐々に引き裂かれた。

 茶に反映された濁りが恐れか迷いかだと? 苦悩と悲痛以外にないだろうに!


 悟空の行動も悪いわけではないのだ。
 彼の心はもう、剥落しだす程ひび割れていたのだから。
 最も悪かったのはタイミングだろう。
 ほんのわずか触れただけで砕け散る程、彼の心にはひびが入っていた。
 そして、敗北で無惨に砕け散った。
 だがそこで終わらなかった。次いでババリ星人の野蛮さにその破片を踏みにじられた彼の心は憎悪の炎に燃え上がった。
 その炎はその心を溶かして別の形へと変容させた。

 かくして彼は凶刃を振るう鬼神に堕ちる。
 それはまるで、堕ちた明星。


 裁くことは赦されない。諭すことも導くことさえも。
 なるほど、親がいつまでも手を引いてやる訳にはいかず、界王神の裁量のみで間引けば世界の多様性は無く、元より世界は不要なものとなろう。
 だが、虐げられるものを助けることもできない。見ているのに。救える力もあるのに。誰かを救うために磨き上げ続けている力もあるのに。

 人間の一面しか見ていなかったと彼は言った。
 しかしそれは私たちもではないか。

 彼は平和にならぬ事を。それは慈愛、優しさに他ならないのではないだろうか?
 愛する者が蹂躙され、陵辱され、踏みにじられる様を黙って見ていられる者がどこにいる?

 彼は何度も言っている。人は争いを繰り返すと。すなわち知恵を絞り争いを避け、調和を保つことを是としているのだ

 それでも彼の全ては、歪んだ正義感・未熟な潔癖症・苛烈な独善に過ぎないと、その心の底にある一縷の愛も理解されずに一蹴されるのか。
 それが、彼の凶行への罰だというのか。
 罪を犯す前に有った善意であるというのに?

 マイは自分勝手な神だといったが、彼こそ最も人に応えた神ではないだろうか?
 救われたい、平和な世をもたらしてほしい……そういう人の儚き願いを彼は結果として叶えようとしたではないか。

 顔を覆うあの髪はまるで流れる涙を隠す檜扇か、毒を隠した百合だったのだろうか。

 なぜあの哀れな姿に胸が痛まないのか。
 無価値だからとためらいなく殺す姿に、なぜいたずらに虫を殺す幼子が重ならないのだろう。
 あれほど痛ましいものもなかろうに。

 どうして彼を揺りかごから連れ出して邪悪を見せつけてしまったのか。
 ゴワスの行為は世界のありとあらゆる絶望を見せ、突きつけ、その上で世界に希望を持てというような行為に等しい。
 もし、苦境でも道を謝らないように努力している者を見せていたら、彼ももっと情を持ったのではないか?
 ……それを救えないことに、彼はまた苦悩するのだろうが。

 理解者が他ならぬ自分自身というのも皮肉である。
 それは彼は誰にも理解されないということの証明なのだから。

 彼に並ぶものはいないという絶対性の証明であれば確かに孤高だが。
 しかしそれは、やはり孤独でもあろう。
 誰にも理解されないのだ。なるほど、自分しかいるまい。

 その揺るがぬ絶対さは私には憧憬以外の何ものでもないが……彼は世界に一人っきりなのだ。

 鎌で切り裂かれた世界から覗くのは彼の心に積もった澱みであろうか。
 薔薇を押し込めた万華鏡のような色彩と揺らめき、それを映す彼等の瞳。
 それが彼等の狂気の色でなくてなんであろう。

 目を開け始めた夜空のごとく美しい鎌の色。
 もし彼等が堕ちなければあれが彼等の魂の色だったのだろうか。
 死神の足音のように刻一刻と鳴る時計の針。それと同じように相手を刻みつけ、一周した針が鋏やギロチンになるように、相手の首を落としたらどれほど美しいだろうか。
 そこには、サロメに求められ、首を切り落とされたヨカナーンの美しさをみることができるのだろう。
 あれを間近で見て、感じ取れるべジータ達のなんと羨ましいこと。

 いや、切り裂かれた色は彼等の狂気の色か。
 そうだ、かつて澄み渡っていた彼等の心は、あれほど澱みきってしまったのだ。
 我等はそこまでおぞましい生き物なのか。
 毒と血と薔薇を閉じ込めた万華鏡のような世界のように。

 あるいはあれが彼等の作り上げた楽園の真の姿なのだろうか。

 彼は最初から冷徹だったのだろうか? 私はそうは思わない。無論、少なからず彼の性質であろうが、それだけとは思えない。
 彼は深淵を覗き込みすぎたことで、深淵にのぞき込まれてしまったのだ。
 白い布こそ、黒い染みによく侵されるように。

 彼にもう一人、たった一人、彼を守る仲間がいたら負けることはなかったのかもしれない。
 これが自分一人しかいない彼が、仲間のいる者達に負けた理由だろう。

 自分しか信じることができなかったのは彼の罪か? 悪なのか?
 誰も寄り添わなかったのに、その全てが彼のせいなのか?

 彼のもたらした黒い破滅は絶望ではない。世界が夜明けを迎えるための夜だったのだ。
 夜明け前が最も暗いというではないか。
 彼は夜明けの為の夜なのだ。

 

・対象を殺害する際の表現から読み取れる心情、ないし思い入れ

 チチと悟天を殺した、という台詞は単なる説明でしかないので簡潔。
 ベジータ、悟空、トランクスに対してそれぞれに、前菜、メインディッシュ、デザートという表現は味わうものであることから、心行くまで楽しんでいるのが伝わる。
 ボリュームなどからしても対象への期待値の違いが感じられる。
 打たれて上がる力、それが満ちていく高揚。
 美食の栄養が体の隅々まで行き渡り、心までをも満たしている感覚なのかもしれない。
 地の底から沸き上がる水のように、魂の底から天の美酒が溢れるような。

 悟空はロゼにとって最も期待するもの、その全てを味わいつくして取り入れ、自分の力として昇華させるために必要な存在なのだ。
 かつて自分を打ち負かした相手を踏み越え、己が最上へと到達するため。過去に嘗めた敗北の苦汁を、勝利の美酒ですすぐために。

 彼は力を求めたが、それは“美しさの”頂点としてであった。
 だが、もとより彼は崇高な存在であり、最強の力を持っていて当然だ。
 しかもそれはどこまでも秩序と正義の為。野蛮さへ対抗する盾なのだ。
 彼等のそれが凶刃だと糾弾するのなら、それらを握らせたのは他ならぬ私達であることを忘れてはならない。

 彼等が罪であるなら、それは私達の罪が彼等を通して映っているのだ。
 つまり、もたらされた絶望は贖罪。あれこそ私達の姿。

 なぜ平穏に生きようとしない? なぜ秩序を成そうと生きない? なぜ殺し合うのか!
 彼もたらす破壊は、そんな嘆きに聞こえてならない。

サイヤ人を始末して、残りの人間も皆殺し……フフ」
 というのは直接的だが、目を閉じて笑っている点をふまえ、人間がいなくなること、殺せること、やっと宇宙に平和がもたらされるという理想の実現に喜びが隠しきれなかったのだろう。
 そこから彼がどれほど人間を厭わしく思っていた(野蛮さに傷つけられていた)かを感じる。

 ゴワスに対する「三度も殺すことになるとはな」は非常に素気ない。
 チチと悟天の場合は、あくまで説明であったのに、これから殺そうという相手、増してやかつての師にただこれだけなのは、よほど情がないのだろう。
 この言いようは相手に聞こえるように言う独り言に近く、ゴワスの自体に大した関心がないことが窺える。

 可愛さ余って憎さ100倍というが、なまじ尊敬していただけに、愛想が尽きた際の反動も大きかったのかもしれない。
 まあ弟子の心情を見ずに神チューブ見てるような愚者なれば、さもありなんとしか。

 彼等の戦いの流麗さたるや、歌劇に等しい。
 互いが自分なだけあって、シンメトリーの庭園のような息の合ったあの戦いぶり。
 敵はミラーハウスか万華鏡に迷い込んだ気になるのではないだろうか。

 


 ……などと、どれほど語っても、私は彼等の中に私の望む美を映しているに過ぎないのだろう。
 彼等は私の主観を反射する鏡でしかないのだろう。
 しかし、私はそれを受け入れられない。